はじめに


世界中が注目する
中国軍事パレード!

中国政府の意図で
軍事展開を誇示するのが目的です。

が、
開催地の北京は
どのように生まれて発展したのか?
すごく気になります。

そんな思いから
歴史解説をお届けします!

実は北京の古地図も
調べました。

日本国内で数万円で
売ってました。

が、古地図は著作権上、
掲載出来ないので
文章だけにさせて頂きます。

中国語の漢字ですが、
なるべく調べて、
よみがなをつけましたが、
数ヶ所、調べても読み方が
わからないところがあります。

わからない漢字は
そのまま書きました。

ご了承頂ければ幸いです。



【北京の歴史について】

●原始時代
(今から50~25万年前)
        
北京市内で
北京原人が発見されました。

北京原人とは、
中華人民共和国
北京市の森林で発見された
化石人類です。

北京市の
周口店というところにある
北京原人遺跡は
ユネスコの世界遺産として
登録されています。
                
●燕国(えんこく)紀元前

春秋戦国時代の一国として
北京周辺を治めていた
燕国(えんこく)という数百年も
長い長い間、
続いた国がありました。

北京の西部(今の房山区)を中心に
栄えました。

前222年に秦(しん)により
滅ぼされました。 

●燕(えん)は長城を作りました。
秦(しん)がのちに改修しました。

●映画「始皇帝暗殺」のモデル
となった燕国(えんこく)の荊軻が
燕(えん)の地図を広げると
そこからナイフが現れました。

秦王に切りかかるが失敗し
殺されました。

燕(えん)はその数年後、
秦(しん)により
滅ぼされました。

●紀元前200年~220年

秦(しん)が中国統一をしました。

その後、
蘇城(そのころの北京の名前)は
北方の経済や政治の
中心となります。

●唐末期という時代まで
北京は漢族文化と異民族文化の
交流の地で、
経済が大きく発展しました。

北京は
この時に、栄えたのですね!

●漢族王朝の勢力が弱くなりました。

●そして、
北方の異民族に支配されました。

●西晋時代 316年に
潭柘寺が建立しました。

1700年の歴史を持ちます。
(北京西南部に位置)

先に潭柘寺が出来たあと、
北京の都市が出来ました。

●五代宋遼金 
907年~1279年

北京は北方の契丹族の
遼と金王朝に
取られてしまいます。

●金時代の北京の名称は
金の中都。

今の北京の南西側に
位置していました。

●元代 1271年~1368年

この時の北京の名前は
大都です。

モンゴル族の支配が
始まりました。

北京で、
モンゴル風の文化と
漢族文化が両方、
存在していました。

大都というところは、
今の北京中心部と同じ位置でした。
マルコポーロも訪れました。
     
●明代 1368年~1644年

現在の北京の基礎は
明代に作られたそうです。

●清代 1644年~1910年

満州族と漢族の文化が融合します。

特に大きな紛争はなく、
仲良くなったのですね。

商業が盛んになり、
たくさんの有名な老舗が
生まれて、今でも残っています。

民族間の平和は
経済発展につながるのですね。

どのような美味しい食べ物、
美しい工芸品などが
あるのでしょうか…

唐辛子の色?
赤など中国らしい色を
使った品物が、
たくさんあるのでしょうね…

●清代の中期に建てられた
皇帝専用の庭園に
円明園というのがあります。

この時代では、一番優れたものです。

1860年
イギリス・フランス軍に
焼き払われてしまいました。

その後、清王朝は
衰退しました。

●ラストエンペラーで有名な
宣統帝溥儀
(せんとうてい ふぎ)
という人がいました。

1906~1967の中国の
清朝最後(第12代)の皇帝です。

1934年、 満州事変後
日本に擁立されました。

満州国皇帝になります。
康徳帝と称しました。

第二次大戦後、
ソビエトに抑留されます。

東京裁判に証人として
出廷します。

そのあと、
中華人民共和国に保護されています。

興味がある人は、
映画「ラストエンペラー」を 
見てみては!

圧倒される別世界に導かれ、
興味深さがアップすると
思います!  

「ラストエンペラー」とは
こういう映画です!!

1987年公開。

イタリア、中華人民共和国、
イギリスの合作です。

清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった
愛新覚羅溥儀
(せんとうてい ふぎ)の
生涯を描いている有名な歴史映画
になります。